毎年冬には米糠をもらってきます
毎年冬には精米所で米糠をもらってきます。意味は違うけど糠喜び。無料なのに使い道は多くとても役立ちます。
糠喜び:本来はあてがはずれたり、がっかりするときに使われる言葉。この記事の場合は「糠で喜ぶタイプ」の糠喜び。
米糠を土にそのまま撒く
ほとんどの場合、発酵などさせずにもらってきた米糠をそのまま撒いきます。虫が沸きにくく、落ち葉が豊富にある冬の定期的な作業になっています。
直に撒いた米糠は、落ち葉とをざっと混ぜておきます。
畑だけでなく、樹木の根元にも米糠を撒いています。未発酵の米糠を撒くとよくないとも言われますが、困ったことになったことは一度もありません。むしろ葉や枝の腐食が早く進み、土に栄養を与えられて良いのではないかと思っています。果樹の実付きをよくするためにも良いのではないでしょうか。
土が葉っぱや枝で覆われる雑木の庭の土は葉が自然のマルチになっています。マルチのおかげで土が乾燥せず葉っぱをめくったら驚くほどふかふかの腐葉土になっており、さらに土のいい匂いがします。
この「土らしい匂い」は放線菌という葉や枝を分解してくれる微生物の匂いらしいです。米ぬかを撒くことでこの放線菌の活動が活発になってくれることを期待しています。
米糠ぼかしを作ってみる
普段は米糠すべてをそのまま畑や庭に撒いてしまうことが多いのですが、米糠のみでぼかし(ぼかしについて詳しくは後で記述)ができるので湿らせて置いておいたのです。
ぼかしの作り方は簡単。手にすこしくっつくくらいのしっとりした湿り気になるくらいまで水を混ぜ、あとはずっとほったらかしにすること2週間。いろいろ混ぜている方もいるようですが、わたしが使うのは米糠だけ。
そして二週間後、米糠に水を少し混ぜて放置していただけなのに、酒かすのような甘く優しい発酵の匂いのするいい具合の「ぼかし」ができあがりました。文字ではお伝えできないですが優しい良い匂い。そもそも、殺菌でもしない限り無菌の米糠なんてありえないのですから、米糠中に存在する微生物が活躍してくれてぼかしが出来上がっているのだと思います。
米糠ぼかしの作り方を様々拝見すると、「牛糞とか油粕などの微生物資材を数種ほど混ぜて発酵させる」と難しいことが書いてありますが、わたしはやったことありません。米糠だけでも立派に発酵します。畑の作物に施して使います。
ぼかし肥料とは
さて、ぼかし肥料とはその肥料効果が速まるよう発酵させた肥料のこと。米ぬかなどの有機肥料は施したあと微生物によって分解される過程が必要なので効果が出るまでに少し時間がかかります。効果が遅くても良い場合に用いられ、遅効性肥料と呼ばれます。
一般的に畑など窒素を必要とする土の場合には土に投入する前に微生物による分解を済ませる必要があると言われています。その理由のひとつは分解によって発酵熱やガスが発生するため。
根の周りは微生物が通常の何倍も存在し特殊な環境がつくられていると言われています。その環境が熱で壊れる可能性もあるのだそうです。土にばらまく場合には根から遠いので関係ないですが、根の近くに肥料としてほどこす際には「ぼかし」として発酵させてもよいのかもしれません。
炭素と窒素の比率
ぼかしとして発酵させる理由は熱以外にもうひとつあります。微生物の分解に必要な窒素と炭素の量をコントロールすることです。
たとえば、窒素の比率に対して炭素比率が多いおがくずなどを生のまま肥料として施すと発酵に必要な窒素が足りず土の中の窒素までもが奪われて結果的に土の窒素分が減ってしまいます。そのため土に施す前に発酵を終わらせる必要があると言われています。
この窒素不足現象については個人的には疑問に思うところもあるのですが、世間一般の通説ではそうなっています。
疑問に思うのには次のような理由があります。確かに窒素は奪うかもしれませんが、微生物の死骸はC/N比で6程度。そうすると、微生物の死骸が窒素供給してバランスを取っているのではないかと思っています。実際、米糠しか施していない雑木の庭が窒素飢餓になったことはないです。
米糠を使う理由
畑の土づくりには米糠だけでなく、ズボラながら少しづつ土作りをしていった結果、固くてスコップのささらなかった土が、ふかふかでミミズいっぱいの土に変化しています。
さて、「畑に作物がないとき」や「庭」には生のままの米糠を撒いているのは、米ぬかは無料ですしそれ自体に窒素やリンといった有効成分を含んでいるから。
また、庭の樹木は地中奥深くまで根を張っており、多少地上付近の根が傷んでもどうってことはないですし少し成長が遅れたら剪定が楽になるだけのこと。しかしながら、通説に反して雑木の庭の木々は健やかに育っています。
自然界は人間の手を加えなくても植物が育まれています。過度なことをせずとも、作物を畑から取り除く分だけ少し手を入れてやれば健全な土壌ができるのではないかと考えています。